邪神記・第二章


第二章 伊勢


「イセ様、ラビです。アケボシ様をお連れしました」
 ラビの声とともに、八体の像に囲まれて、暗く見えなかった八芒星の奥で、誰かが立ちあがった気配がした。
「初めてお目にかかる。私は伊勢と申します」
 やはり古代の神をおもわせる美豆良に、衣褌を纏ったイセは、アケボシと並ぶほどの長身の青年だったが、その貌だちは、驚くほど、秋人に似ていた。
 それは、内面のナイーブさが、美しいという印象にまで顔立ちを整えているといったものだった。
 思い詰めた様子、なにかを怺えている感じがあるのも、秋人を憶い出させ、アケボシを遣る瀬なくさせた。
「俺は、明星千尋。同じ御霊から生まれたとかで、よろしく…」
 アケボシは、右手を差し出して握手を求めたのだが、イセは意味が判らないのか、戸惑いをみせた。
「俺たちの世界だと、手と手を握り合って挨拶するんだ。手の中に武器を持ってないという意味もあるんだけどな…」
 握手の意味を教えようとしたアケボシに対して、イセは、どこか陰りを帯びた表情を、さらに曇らせ、苦しんでいるかのようになった。
「アケボシ殿、こちらの世界では穢れている者に触れると、身の清浄を喪うと言われるのです。誰も、私と触れたがる者はおりません」
 そう言ったイセを、アケボシは驚きをもって瞶め、すぐさま、彼の右手を掴みとっていた。
 怒ったように、握手というよりは、乱暴に振り回し、自分が満足するまで強く握り締めてから、放した。
 強引なアケボシに、当のイセも、ラビも、驚いて眼を見張った。
「なにが清浄を喪うだよ。俺はそんな考えかた、好きじゃないんだ」
 あまりに強く握られたので、まだ指の先が痺れている自分の手を見ながら、イセは困ったように笑った。
「ハハ…、なかなか面白いお方だな、アケボシ殿は……」
 それから、改めて、イセはアケボシに向き直り、
「アケボシ殿のお出でくださるのを、ミカドも、どれほど待っていたことか…、本当に、よくぞ来てくれました…」と、皇子の身分とも思えないほど丁寧に頭をさげてきた。
「なにもかも、いきなりで驚いたけどな…」
 せめて、秋人には説明したかった。登子は、一緒につれてきたかったと思うアケボシなのだ。
「申し訳ない。もはや一刻の猶予もならない状態だったのです。それで、アケボシ殿、どうか、これから、ミカドに会って貰えぬだろうか?」
 突然のイセの申し出に、「えぇッ…」と、アケボシは怖じ気づいた声をあげた。
「ミカドって、俺たちの世界で言えば天皇みたいなんだろう?俺、ちゃんとした格好してないし、そんな偉い人に会ったことないからな、心の準備ってもんが……」
 今のアケボシは、洗い晒しのジーンズに、白のポロシャツ。足は裸足で、髪はライオンのたてがみのようにぼさぼさの長髪だ。
 おまけに、寝て起きて、顔を洗うのも忘れている。
 穢れをものともせずに触れてきたアケボシの、らしからぬ狼狽ぶりに、イセは口元をほころばせた。
「この煉獄界でのミカドは、すなわち神門。魔を封印する門の守護闘神をいうのです。アケボシ殿」
「神さまなのか?」
 もっとヤバイと思ったアケボシのトーンが、心持ち甲高くなったのに、ラビが助け船を出した。
「アケボシ様、『ミ』は、『神』を指し示す尊称の音なのですが、『神』とは、宇宙と調和し、自在に操る能力を持つ者を呼びます。ですから、神門とは豊葦原瑞穂国の国土から霊的な力を得て、さらに八方守護神の加護のもとに、魔を封じる力を持つ一族の主ということで、鍵の掛かった『門』と思われてはいかがです?」
 アケボシには余計に判らなくなりそうだったが、ラビの言葉に、イセが端正な貌だちの中で、ただひとつの欠点とも、また印象深いとも言える、なにかを怺えているような、あるいは寂しげな瞳を揺らめかせるのが判った。
「しかし、ミカドの血を引き、予言されていながら、私には八方神を召喚する力も、ミカドの証である七支刀を使う力すらないのです…」
 悲愴を漂わせたイセの様子が、アケボシには痛々しく思われた。
 秋人の姿と重なって見えるからかも知れない…。
「落ち込むなよ。俺が来てやったんだからさ、なんとかなるさ…」
 そしてつい、落ち込んでいる友人を慰める時の口調になってしまった。
 だが、アケボシが見せられたミカドは、すでにミイラ化していた。
「ミカドは、空を突き侵入した冥獄界の魔物スサに襲われ、命を落とされたのです。しかし、いまだに崩御されたことは秘密にしてあります…」
 眉値をよせたイセは、苦しそうに言葉を継いだ。
「我々は、ミカドを頂点に、封印の門を守るという一つの精神で繋がる一族です。故に、ミカドの死を知れば結束に揺らぎが生じます。そして、誰も、罪を背負い、神聖の力をもたずに産まれた私になど、従う者はいなくなるでしょうから…」
 闇の中に、イセの、沈鬱な声が漂った。
「そのスサってどんな奴だ?」
 昨夜、部屋に現われたラビが、口にした名前でもある。
「『猛きこと雷電のごとし。向かうところに敵なく、攻めむるところ必ずや勝つ』と言われる悪鬼のような男です…」
 イセに代わって、ラビが答えた。
「アケボシ様には、破壊鬼神が死んだ刻に、男根から美環という神が誕まれた話はしましたけど、同時にシャクチは、ミワを護るために男根に添えた左手からウズメ、右手からスサを誕んだのです」
 まだアケボシはそこまで理解しなかったが、男性器に添えた二本の手から生まれたという意味合いは、自慰を表しているのだ。
「以来、二人は、たえずミワに付き従い、護っているボディガードなんです。スサは剣の精でもあり、ゆえに血を好む性。ウズメは、『汝は手弱女なれども、いむかう神と面勝つ悪鬼なり』と言われる恐ろしい女です」
「面勝つ…、なんだ、それ?」
「面と向かい合った時に、相手を負かすという意味です。ウズメは邪眼なんです。その眼に見入られると、操られて、死んでしまうんです…」
 邪眼という言葉にもいまひとつピンとこなかったアケボシは、質問を変えた。
「じゃあ、いったいどうして、争いになったんだ?」
 次にそう訊いたアケボシの前に、ピョンとラビが飛び出した。
 ラビの聖獣魂は虎だと言ったが、兎を連想させられる機敏さと、ジャンプ力だった。
「アケボシ様。煉獄界は人間界と運命的に共鳴しあい、互いに鏡に映しあってるみたいな世界ですけど、住んでいる人々は肌の色で分けられて、黄人、赤人、白人、黒人、青人と大まかに呼ばれています。まずこの煉獄界をご覧ください」
 パンと、ラビがひとつ柏手を打つと、三人の前に、ホログラフィのように、丸い地球儀があらわれた。
「およそ千年ほど昔です。青人の男達が海底で巨大な遺跡を発見したのがきっかけでした。遺跡に残されていた古文書を解読した彼等は、破壊の力を持つ鬼神シャクチの存在を知ったのです」
 ラビによると、世界は、邪悪な冥獄界、イセたちの住む煉獄界、人間界の三層で形成されているということになる。
「邪悪な神の存在を知った時から、心の裡にも闇が芽生えはじめます。青人たちは悪神の力を得て、自分たちが煉獄界の支配者になろうと思い、なかでも、青人の指導者の一人、皆殺しと名乗る男が古文書による古代呪法陣を張り、ミワを煉獄界に召喚してしまったのです」
 ラビの小さな人差し指が、メギドの現われた地である中東を指し示していた。
 ますます、室井登子が聴いていたら喜びそうな話になってきた。
「世界は煉獄界だけではないとミワに入れ知恵されたメギドは、人間界へも渡ろうと考えはじめたのですが、二つの世界の接点である豊葦原瑞穂国には、通過の門を封印する神門一族がいて思うようにならず、さらに冥獄界からサクヤとイブキを召喚したのです」
 滅ぼされた色人たちの国なのだろうか、ラビが見せている地球の陸地が、次々と暗い色に塗り潰されていくのが判った。
 人間界の自然破壊によって、霊的な力の源である大地が力を失ってきたことで、共鳴している煉獄界の大地もまた、その力を弱められてしまった。
 大地が霊的な力を失うことは、暮らしている五色の人々の力も失われて行くことだった。
 煉獄界の力が弱まると、さらに奥の闇に存在し、様々な悪や穢れとして封じ込められていた冥獄界の輩が蠢きだすのだ。
「破壊鬼神の復活を唱えながらメギドは、瞬く間に煉獄界を戦争と破壊に巻き込み、焼きつくしました。色人たちは闘ったのですが、冥獄界の悪しき呪力の加護を得たメギドの敵ではなかったのです」
 立体映像で浮かんでいる地球儀は、日本列島が見える位置で、制止した。
「そしてついにメギドは、穢都呂府に前線基地を構えるまでに迫り、通過の門である我が国に攻撃を仕掛けはじめたのです」
「エドロフって、択捉、国後、歯舞、色丹の北方四島のことだな?」
「はい。豊葦原瑞穂国でありながら、まっさきにメギドに侵された島々です」
「そう言えば、この前、北方四島じゃないが、サハリンで大きな地震があったんだよ…、それに、俺たち人間界に『メギド』って地名があるんだ」
 アケボシは自分に向けられた二人の視線を意識しながら、慎重に言葉を継いだ。
「新約聖書に出てくるし、中東のイスラエルにある地名なんだ。でも聖書じゃ、『メギド』は世界中の王たちによる霊的な世界最終戦争の戦場になるっていわれてる」
「そうなんですか、イスラ−エルというのは『神と戦うもの』という意味があるんです。何度も言いますが、この世界と人間界とは鏡あわせ、豊葦原瑞穂国が滅ぼされれば、人間界もまず日本から滅び、そこから世界に災禍が広がっていくでしょう。そして、最終的にメギドが現われた地、アケボシ様がおっしゃるメギドという地名で人類皆殺しの戦争が興るのかもしれません…」
 鏡は、逆に映るのだ。それを考えると、符合するものがある。
「もうひとつ訊くけど、なんでそいつらは人間界へ行こうとしてるんだ?」
「メギドは、ミワたちに利用されてるにすぎないのです。メギドによって人間界を滅ぼさせた後、魔性三皇神たちは本格的にシャクチの復活を謀るつもりだろうと思えるからです。何故ならば、人間界は、冥獄界の者にとっては住み良い場所なのです。人間の、心の裡に存在し、密かに育てられている闇が、彼等をも育てるのですから…」
 人々の欲望と、邪悪な心が放つ精神熱量、あるいは、自殺したり、殺された人間の魂は、死んだ瞬間の苦しみのままその場に漂い続け、冥獄界のものは、人間が空気を必要とするように、それらの怨念に浸り、生きるのだとラビは付け加えた。
「ですから、死んでしまえばそれで終わりではありません。天国や地獄というのは人間界の人々の救いを求めた創造ですが、肉体の消滅があっても、魂は残るのです」

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