邪神記・第五章


第五章 ダキニ


 今夜は格別、誰にとっても夜が長く感じられた。
 アケボシもまた、部屋に戻ったが、寝酒にと、ウネメに頼んで酒の入った細長い壺を貰い、夜具の上でひとり、飲みはじめた。
 起きて飲んでいるのも、だるくなってきて、何時しか夜具の上に寝そべり、飲んでいると、ふと、人の気配がして、飛び起きた。
「だれだッ」
 少しのことにも、敏感になっているせいか、酔いが回りはじめているにも拘らず、身体は、驚くほど敏速に反応した。
「わたくし、ダキニでございます」
 消え入りそうな声が、部屋と廊下とを仕切っている御簾の影から聞こえた。
「イセさまも、八部衆の方々もどこにもいらっしゃらず、一人で休んでおりますのは、恐ろしゅうございます…」
 涙声で訴えるダキニは、御簾の縁に手を掛けてずらすと、部屋の中にいるアケボシに助けを求める眼を向けた。
「アケボシ様のお側に置いていただけませぬか…」
 一瞬、アケボシが戸惑うと、ダキニは床に視線を落として、身を引きかけた。
「お許しなされて、わたくしは、いっそヤマ様の代わりに死んでおればよかった身…アケボシ様が厭われるのも致し方ないこと…」
 大切な八部衆の一人を死なせたのは自分のせいと思い詰めているのか、ダキニは肩を震わせて泣きはじめた。
「な、なに言ってんだ。厭うって、そんなこと思ってないさ」
 それを証明するためにも、アケボシはダキニを招き入れないわけにはいかなかった。
「入れよ」
 アケボシが声を掛けてやると、控え目にしながらも、ダキニは御簾を退け、隙間から部屋の中へと入ってきた。
 今夜、処女から女に変わり、さらに惨たらしい事件に遭遇したダキニからは、夕餉の席で舞っていた少女の面影は薄れていた。
「うう…、なんで、わたくしのようなつまらない女が生き残ってしまったのでしょう…」
 またひとしきりさめざめと泣くダキニは、感きわまってか、アケボシにしがみついてきた。
「アケボシ様ッ…」
 ダキニの身体からは、甘酸っぱい花の匂いが漂った。
 触れた肌と肌が、すぐに熱をもったようになり、酔いも手伝って、アケボシは女の魔性に引き摺られる錯覚をおぼえた。
 深みのある瞳が真っ直ぐにアケボシを捉えて、篝火のように輝きを放った。
 獣染みた、原始的ともいえそうな女の情熱がダキニにはあるのだ。
 ダキニたちサルメは、こうして男達に欲望を喚起させる女たちなのだろう。
「ん…あぁ、アケボシ…さまッ」
 伸し掛かりながら、ダキニは、濡れた口唇を開いて、喘ぐ声を洩らした。
 犬歯の尖った、白い歯は、綺麗に並んでいて、喘ぐたびに赤い舌がチロチロとひらめいた。
 ダキニが身に着けている肌衣をはだけ、白い胸元をひろげた。
 張りのある見事な胸が露になって、豊かに稔った裸体が、アケボシの前にさらけ出された。
 熟した茱萸のように、堅く尖った乳首が、官能的だ。
「アケボシさま…」
 吐息に甘美な響きが混じっていた。
「抱いて、抱いてアケボシ様、わたくしに、忘れさせてッ」
 しがみついて、擦りつけられてきた下肢にたわめられた熱が、アケボシを誘った。
「わたくしに、アケボシ様の強いお力を授けて下さいまし…、このままでは、とても、生きてはゆかれません…」
 煉獄界での交合は、互いの快楽のためばかりではない。力の譲渡と交流を意味するがゆえに、強い相手を望むのだ。ダキニも、いま、アケボシに癒しを求めていた。
「アケボシ様…」
 くぅくぅと、鳩が鳴くような呻き声を立てて、ダキニが欲している。アケボシは、抱き締めながら、夜具に押し倒し、のしかかった。
 両膝に手を掛けて、左右へと押し開くと、腰が持ち上がり、秘裂の花が、そのピンク色の花びらをひろげた。
 妖しい肉層の奥までもが、あられもなく露になり、すでに成熟した花の蜜を溢れさせている。
 下肢を抱えたアケボシは、腰を落として、身体を進めた。
「あぁ−−…くう…っ…」
 歓喜に支配され、ダキニが深く受け入れようとのけ反った。
 熱い沼地に腰から浸っていく心地好さと、鋭い快感が走り、さらにアケボシは身体を沈めた。
 煉獄界にきて、はじめてだった。
 だが健康で、正常な男としての欲望が満たされはじめると、もう、引きようがなかった。
「あ…くう…くう……」
 ダキニは、喘ぎ続けている。
 たっぷりとして、手に余りそうな両の乳房を掴んで、アケボシは欲望のおもむくまま、乱暴に扱った。
 茱萸を思わせる乳首を、口唇に含んで、噛み、吸いあげる。
「きぃ…ひぃ……あひぃ……」
 ほどけてしまった長い髪を振り乱して、ダキニは喘ぎ、アケボシを締めつけてきた。
 生きた美しい女なのだ。
 下肢を痙攣させるほどに、ダキニが歓びをあらわしている。
 喘ぎ続け、感じ続けて、あられもなく身悶え、自ら腰を振りたくった。
「くう…く、くう…くう……アケボシさまぁ、ど…うにか、なってしまう…ぅ…」
 アケボシもまた、脳を犯されるような快感に襲われ、眩暈を振り切るかに、頭を振った。
 瞬間、脳裏を、閃光のように走り抜けるものがあった。
 何かと、意識で捉え、もう一度知ろうとすると、ことのほか容易に、出来た。
 脳裏にあらわれたのはミワだった。
 夜具のうえに、長い黒髪を海原のように乱して、横たわり、アケボシを受けいれているのが、ほの白く、妖しい曲線のある男の身体にかわったのだ。
 「心の裡に聖獣魂があるのと同じように、男と女の両性もあるのです。ミワさまは、そのどちらにも禍いするお方。ゆえに恐ろしいのです」
 ラビの言葉が、またも甦ってくる。
 なぜ、いまミワを−−…疑問を発する間もなく、肉体の方が、弾けていた。
「ああッ、あうッ、いぃ…いい…あひ…あひ…ぃ……ア…ケボシさまッ…き…ひぃ……−−…」
 アケボシの戸惑いをよそに、乾いていた喉が泉の水を飲み干すように、ダキニもまた、悦楽を享受し、激しく、絶頂に狂った声を立てた。
 熱い嵐のような波が引いて行くと、アケボシに還ってくる波には、狼狽が混じっていた。それが、段々と、高波になってくる。
 悦楽に濡れた瞳で、ダキニが、身体の上に身をすり寄せてきた。
 アケボシのほうは、心の奥底で複雑な感情を持ちながらも、肩に腕を回してやると、応えてダキニもしがみつき、熱くほてった肌を押しつけた。
 ダキニの手が、アケボシの胸元を愛撫するかのように彷徨った。
「なんと、すばらしいお方……」
 情熱的な溜め息がダキニからもれる。
「骨までとろけてしまうかと思いましたわ…」
 そのまま胸元を彷徨っていた腕が、心臓のうえに重なった瞬間、ビクッとアケボシの全身がはぜた。
「−−−…」
 あまりの苦痛に、声が出なかった。
 胸のうえに置かれたダキニの手が、アケボシの心臓に触れていたのだ。
「クックックッ……」
 喉を震わせてダキニが嗤った。
 アケボシは、女の腕を掴んで、満身の力を込め、身体の上から引き剥がした。
 いともたやすく腕は離れたが、それはダキニの余裕がさせたにすぎなかった。
 自然と呼吸が乱れて、ハッハッ…と、苦しげになっていく。
「貴様、何者だ」
 それでも、枕元の砕星刀を引っ掴んだアケボシは、後方に跳びのいて、間隔をあけた。
「ウッフフ…、気付くのが遅すぎましたわ、アケボシ様。あたしは人の心臓を啖うためにやってきた、堕鬼尼さ」
 生臭い風が部屋の中で巻き起こったと同時に、美しい女の顔から、双眸が吊り上がり、口が耳まで、ばくりと裂けた。
 裂けた口腔の中に、三列に並ぶ尖った牙が見えた。
 女が、化生のものである正体を顕したのだ。

「ウズメ」
 なにやら音がしたようだと感じ、ミワは、控えているはずのウズメを呼んだ。
 だが応えがない。
「スサ?」
 次にそう呼んだが、やはり、近くにはいない様子で、動くものの気配がなかった。
 寝所のまわりには、ひときわ厳重にうす絹の帳を張り巡らせてある。その所為か、うす絹を透かし、外の様子を見ようとしても、なにやら異変を感じるだけで、視ることができない。
 視えなければ、いっそう、不可解さが増すばかりとなる。
 毛皮にうずもれ横たえていた身体を起きあがらせたミワは、純白の毛皮を一枚取りあげると、頸飾りだけの裸身を覆い隠すように纏い、寝台を降りた。
 寝所は、黒曜石の石室であるが、床の亀裂からは、冥獄界の光が燿うている。
 妖しい光の中を、ミワは滑るような足取りで歩いて、外へと、出た。
 なにかが、流れ込んでくるのを感じたのだ。
 それが、精神の波動であるのか、また別のものであるのか、計りかね、探すかのように、あるいは導かれるかのように、彷徨い出てしまった。
 どこかで、チャッと、湿った音が聞こえた。
 同時に血の臭いを感じ、ミワは、ハッと、立ち止まった。
 帳の影から、抗いがたい魅力を持った、血の匂いが漂ってくるのだ。
 不快と甘美がそこにはある。
 血に引き寄せられる性と、どこかでそれを忌む心の葛藤。しかし、結局は、欲望に支配されるのだ。
 ミワは、胸元の毛皮を掻き合わせるようにして、胸を喘がせた。
「だれぞ、居るのか」
 気配を感じ、帳に手を掛けた瞬間、ミワは凍りついたように立ちすくんだ。
 腹部を裂かれ、立ちあがることも出来なくなった女が、かろうじて繋がっている下肢を引き摺ったまま、床上を這っていたのだ。
 身体からうねうねと出ている触手が、進むことを助けており、女の背後に記された血の道筋が、まるで地を這う長虫のようにすら見えた。
「た…すけて…」
 化生の女は、ミワを見るなり、醜いまでに裂けた口腔から血の混じった涎を滴らせながら、縋るように腕を差し出した。
 ミワは戦きを放ち、血塗れた指先から逃れて後退ったが、悍ましき女の姿に衝撃を受け、竦んでしまった。
 苦痛につりあがった双眸でミワを捉え、女は追ってくる。
「ああッ」
 竦んだまま、怯えたように喘いだミワの身体に、ふたたび女の手が、縋りつこうと伸ばされた。
「放せッ」
 足首に触れられ、ミワが声をうわずらせた。
「だれか−−ッ、ウズメッ」
 執念の力で逃げ戻ったダキニである。
 生への執着は並外れて強いのだ。ミワにすがりついた手を、放すまいと、いっそう力が籠った。
 ミワは、自分の力で払い除けることも適わぬほどに恐慌を来し、悲鳴をあげた。
 血を吐きながら、ダキニが、ミワに腕を差し延べ、すがりつこうとしてきた。
「お、たすけを……。死にたくない……」
 美しい神、彼ならば、自分の命を救ってくれると信じているのだ。
「…い…や……」
 逃れるように、後退さったミワだが、怯えに足元がふらついた。
 今にも気を失い、頽れてしまいそうに弱々しい姿。だがそこへ、背後から、気配も無く近づいてきたサクヤが、かいなをひらき、純白の毛皮に覆われた細い身体を抱きとめた。
 這いずりあがったダキニの身体と、伸ばされた腕が、すんでのところでミワを掴み損ねて力尽き、床に落ちた。
 血溜まりが弾かれて、辺りに血飛沫が飛び散る。
「兄上、そのような醜きもの、御覧になってはなりませんぞ」
 恐怖と、濃い血の匂い、それにダキニが放っている生への執着の強さに、酔わされたようになったミワを抱き、サクヤが耳元に囁きかけた。
「さ、兄上、こちらへ」
 思わず、身体を包みこんでくれるサクヤの腕にしがみつき、ミワは、抱きあげられるがままになった。
 奥の寝所へと運ばれ、寝台に身体を下ろされてようやく、身体の強張りを解いたミワだったが、まだ頭の芯が痺れて、心を奪われたようになっていた。
 それでも、自分を運んで来たのがサクヤと判り、身に纏っている毛皮を開かせて、足首を晒した。
「足…が…」
 訴えようとしたミワの声は、相変わらず慄え、うわずっていた。
 何事かと視線を向けたサクヤは、ミワの足首に、汚らわしい女の血がついているのを見た。
 サクヤは無言で、その足を戴くと、自分の舌で、血を舐めとった。
「ああッ……」
 汚れを清められ、ミワが溜め息をもらした。
 さらに念入りに、サクヤが舌を使い、足首から、爪先までを汚しているダキニの血を舐めとりはじめた。
 次第に、寝台に敷き詰められた毛皮の中に、ゆっくりとミワの身体が頽れていき、しどけなく、横たわった。
 ダキニが、ミワを自失させるほどに怯えさせたのか、日頃の高慢さも鳴りを潜め、ただ弱々しく、美しい存在である姿が、サクヤの前にさらけ出されている。
 さらにサクヤの手が、身に纏わせている毛皮を剥がした時も、ミワは抵抗もできず、妖しいまでに白い裸体をむき出されるがままに横たえていた。
 様々な宝石を組んで美しく形取った首飾りだけが、ミワを守っている装身具だ。
 同じシャクチから発生した兄弟といえども、ミワが無防備にサクヤの前に裸身を晒すことなどついぞないことである。
 この機とばかりに、サクヤはミワの下肢へ手を掛け、膝を開かせて中心へと入り込んでいた。
 ミワがハッと気づいた時には、すでに、下肢を閉じられぬようひろげられ、両手を、上から押さえこまれた後だった。
「サクヤッ」
「これを機に、我がものにおなりなさい」
 抵抗しようと、身を捩らせたミワを、やすやすと押さえ込んているサクヤが、なぶるような口調で、続ける。
「醜きものを見て、怯えておられた…、あのように、地を這う−−…」
「黙れッ」
 鋭く遮ったミワだが、すぐさま、サクヤによって口唇を奪われ、声も、抵抗も封じられてしまった。
 サクヤの口の中に残っている血の味がする。
 戦いたところを、さらに舌をひきずり出されて吸われ、唾液を絡めさせられているうちに、ミワは、脆くも抵抗する力を失っていた。
 そればかりか、甘く痺れてきた舌と同じく、身体もうずき出していたのだ。
 だが、この寸でのところで、
「ミワさまッ!」
 飛び込んできたウズメの叫び声に、ミワがビクッとなった。
「なりません、ミワさまッ」
 鋭い女の金切り声が、不意に、ミワの正気を取り戻させた。
「サクヤ様、ミワ様から離れてくださらねば、このウズメ、覚悟がございますッ」
 邪眼の女が、神に歯向かおうと、叫びをあげた。
 だが、それよりも先に、我に返ったミワが、抱えられている腰を引き、サクヤの下から逃れ出ていたのだ。
 あれほど兆していた昂りも、すでに消え失せ、サクヤが施した輪枷が、砕け、外れている。
「サクヤッ、われから離れよ。このような…」
 たった今、肉悦に脳乱し、あられもなく喘いでいたとは思われない、すでに冷めきったミワの声が、サクヤを責めた。
「なにを言われる。兄上から、求めておられた…」
 バシッと前屈みになっているサクヤの頬が、打ちすえられ、鋭く鳴った。
「つれない兄上だ。あれほど感じておいでだったのに…」
 激しい昂りを示した肉体を隠しもせずに、サクヤが、歯をむき出して唸りをあげた。
 衝きあげてくる欲望の強さに抗いかねて、獣の本性が顕れかけているのだ。
「俺とて、このままでは済まぬはッ」
 辺りを破壊し兼ねない勢いのサクヤを、すでに、ミワは醒めた流し目で見据え、冷たく言った。
「…ならばお前に、われが人間界より連れ戻った娘を与える故、存分にするがよい」
 いささかでも驚いたのか、サクヤが大袈裟に、嘆いてみせた。
「これは惨いことをおおせられる。俺と交われば、あの娘など、死んでしまう」
 それに対してミワは答えない。一度口にした言葉は、二度言わぬといった様子なのだ。
 サクヤの方は、そんなミワをなかば挑発するかのように問い返した。
「兄上は、御身の純潔を守られるために、お気に入りの娘を殺すのですか?」
「くくく…」とミワが、ゆらぐ花びらのように笑った。
「われは、慈悲深き神ではないゆえにな……」
 妖しい魅力のある双眸でサクヤを睨めつけたミワの声は、優しく、冷たかった。

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