邪神記・第八章


第八章 天羽々鷲 −アマノハバワシ−


 日本列島のほぼ中心を、南北に横断するように富士火山帯は存在する。
 盟主は、富士山であり、南端の硫黄諸島から、近年噴火の記録のある三宅島、大島の三原山を含んで北上し、妙高山を経て、最北は焼山となる。
 煉獄界で妙高山は、須弥山と呼ばれる。
 玄奘三蔵によっても、妙高山とは須弥山と意訳されており、インド仏教での読み方は『スメール』。
 世界の中心に聳えると考えられている高山のことだ。
 その妙高山は、標高二四四六メートルで、かつて、頂上が噴火で吹き飛び、その後にまた、噴火で新しい山頂ができたために、外輪山に取り囲まれた火山である。
 外輪山を線上で延長させて行くと、本来の山の高さは、三〇〇〇メートル級を越えるともいわれ、また、体内に、幾つかの火山を内包して成り立っている。
 火山の活動周期は、一〇〇年単位である。完全に活動を停止したと思われていた死火山がいきなり噴煙をあげたと騒がれることもあるが、人間と属する時間が違うのだ。
 妙高が最後の噴煙をあげたと推定されるのは、おおよそ、四二〇〇年前になる。
 四二〇〇年前とは、縄文時代の半ばにさしかかり、同じころに、九州の鬼界カルデラが大爆発を起こして西日本一帯に灰を降らせている。
 富士から天鳥船を使って一気に移動したアケボシたちの目の前に、盛んに水蒸気爆発を起こす、その妙高山が現われた。
 ほぼ妙高山と並んだ焼山、−−アケボシが、秋人との最後の夜、テレビニュースで観た山も、大規模な噴煙をあげており、辺りは、陽光が遮られ、辺りは夜のように冥くなっていた。
「見て下さいッ」
 床のスクリーンレンズに映しだされた妙高山の噴火口から、噴煙とともに、邪悪な生き物の蠢きが見えていた。
 鴉の顔に、巨大な蝙蝠の羽根をもった天狗のような幻邪獣が、水蒸気爆発を起こし、ガスと、火山灰を噴出する火口から、這い出てこようとしているのだ。
「なんだ、あいつは?」
 尖った嘴から、カーッと、邪念波動を放ち、幻邪獣は火山を刺激している。
 妙高山は、あまりに永き眠りに就いていたので地下のマグマは、粘り気が多く、冥獄界の干渉があっても、直ぐに、大規模噴火とはならない。
 何時になく、神妙な雰囲気を漂わせている佐具女が、次に、悔やむような言い方をした。
「蓬莱山にばかり注意が行き過ぎました。同じ大断層に干渉している火山では、こちらの須弥山のほうが、恐ろしかったのです……」
 人間界の妙高山は、四二〇〇年もの永き眠りを妨げられ、蓄積された膨大なエネルギーを放出しようとしている。
 サクヤたちは、霊的封印されている富士を選ばずとも、妙高山を大噴火させることで、地殻に壊滅的な打撃を与えることは可能だったのだ。
 それはやがては、富士にも影響を及ぼすからだ。

 辺りは、別天地のように、静かだった。
 ミワがそこにいるのは、直観的に判っていた。
 案の定、溶岩石に囲まれ、プールのように塞き止められた湧池の縁に、立っているミワの姿が見えた。
 長衣から見える絖のような白い肌と、爛れた鱗状の青黒い肌の対比が、遠目にも目立つ。
「見損なったぜ、約束を破ったな」
 天浮船を操って舞い降りると、はじめてアケボシに気が付いたのか、ミワが驚き、狼狽を見せた。
「なにゆえに……」
「いい気になるなよ、ばれないとでも思ったのか?」
 偶然に、マンションの中を見て気がついたのだが、そんなことは曖にも出さない。ましてや、噴火口から、シャクチが依代であるミワを捜しているなどと、アケボシは言わなかった。
「八方神が張った結界の中から、どうやって出られたんだ?」
 ズカズカ近づくアケボシの威圧感に、気圧され、ミワは後退ろうとしたが、よろめき、そのまま岩場に倒れこんだ。
 すでに膝上まで石化が進み、細かかったひび割れが、深い亀裂となり、満足に動くことができないのだ。
「どうやって、逃げ出せたんだッ」
 見当が付かない訳ではないのだ。アケボシは、ゆえに、怒りを感じているのだ。
 まさか、信じたくない。だが、ミワは八方守護神の裏切り者、イザナを誘惑して出て来たのではないかと思うのだ。
 いきなりミワの胸元を掴んだアケボシは、力任せに、ローブを剥ぎ奪った。
 身体中に、夥しいまでに愛欲の痕跡が記されている。
「イザナ神を、身体で誘惑したってのか? そこまでして、逃げたかったのかッ」
 アケボシの怒りは、悲しみに近いものになった。
「俺は、お前を守ると言ったんだぞ、その俺を、そこまでして裏切ったんだなッ」
 −−裏切った。
 アケボシが放ったその言葉は、ミワを鞭のように打っていた。
 八方守護神を誘惑し、肉体を与えたことよりも、ミワは、交わした約束を守らなかったことを責められているのだ。
「われにもどうしようもなかったのじゃ、もはや、刻が参ったゆえ…」
「なに言ってんだよ、俺に判るように説明しろッ」
 激怒にも拘らず、それをアケボシは抑え、ミワの言い分を聴こうとしている。しかし、怒りが熱気となり、辺りの空気を炙っていた。
「時が来たってどういう意味だ? お前は、二度と俺を騙さないと約束もしたんだ、本当のことを言えッ」
 鋭く冴えた声が、またも鞭となり、ミワを打った。
「…われは、この汚れた身体に禊を行わねばならぬ。−−その刻が参ったのじゃ…」
「ミソギ?、いつもどおり、風呂場で身体でも洗ってればいいだろう…」
 苛立っているアケボシの前で、ミワの下肢を亀裂が走って行く。手で覆い隠そうとしたミワだが、爪が無くなり、指先も灰色に変わっていた。
「あの水では、適わぬ、われにとっては−−……」
 嵌めている指輪が、やけに重々しく感じられるとアケボシが見ている前で、スルリと、指からぬけ、「あッ」と思う間もなく、岩場から池の中へと落ちて行った。
「われの前を、去るがよい、…はじまる……」
 喉元まで侵されてきたのか、ミワの声が掠れた。
「いやだね」
 アケボシが強く否定する。
「そなたに、見られたくない…」
「見られたくないって、お前が風呂に入るのは、いつも見てるだろうッ」
 頭を振って、ミワが否定した。
「ミソギなのだ、われの本性が出る、……そなたにだけは、見られたくない…」
 なにが起こるのか、アケボシは一抹の不安を感じていた。ミワが、ウズメたちのように砕けてしまうのか…それとも……。
「だから、いまさら、何が見られたくないてんだッ」
「ああ…、もはや刻が、来た……」
 口唇を噛んだミワが、アケボシの前で指輪の後を追うように、池に身を沈めた。
 とっさにアケボシも、追って、水の中に入った。

「剣をよこせ、ラビ」
「はいッ」
 ミワを守るためにも、アケボシは戦うことを決心し、ラビがどこかの博物館から、黙って借りてきたのだろう、見事な太刀を受けとった。
 握ると、手に馴染み、しっくりとくる。
 申し分ない太刀だった。
「よっし…、ラビ、鎧を着けるのを手伝ってくれ、これで、俺もイセを助けに行ける」
 だが、そう言ったアケボシの握っている太刀へと、ミワが腕を伸ばして触れるやいなや、一瞬で、粉々に刀が砕けた。
「わわわ…、ミワ様ッ」
「何するんだッ」
 狼狽したラビと、怒ったアケボシを、嘲笑うようにミワの赫い口唇が歪んだ。
「愚かな、われの力で砕くことのできる剣で、サクヤと戦うつもりか?」
「そ、そんなこと言ったってな、もう、どうすりゃいいんだよッ」
 怒りを通り越し、途方に暮れたアケボシの前で、ミワは優雅に移動し、下肢をとぐろ巻かせた。
「アケボシ…、そなたは、幾度も、われと交合おうていながら、まだ気づかぬのか?」
「なんだよ、セックスの相性がいいとか言い出すんじゃないだろうな?」
 投げやりなアケボシに構わず、ミワが続けた。
「かつて、そなたは、われをやすやすと見破ったな…、判らぬか? 我らは、近いのじゃ、すべての世界の神話に遺る形であるほどに、近いのじゃ…」
 意味が判らずに戸惑い気味のアケボシに、数分前まで、欲情に身を焦がし、求め、官能に溺れていた時とは違う、怪しい異世界の神である本性を顕したかに、ミワが、告げた。
「最初に交合うた者に、われは、力を授けることができる…」
「で、俺にもなんかくれるのか?」
 イセに神聖の力を取り戻させたミワなのだ。今度は、自分の裡なる力を引き出してくれるのかも知れないと思うものの、アケボシは、たいした期待もなく訊いた。
 すると、ミワが、玉虫色の双眸を瑩らせながら、アケボシを凝視め、口を開いた。
「そなたには、天羽々鷲を授ける」
 弾かれたように、アケボシが、ミワを見あげた。
「な−−…、どういうことなんだ?、あれは、『なぶさ』が、いるんだ」
 ミワは、すらっと、蛇体を立ちあがらせ、アケボシと、言葉を失っているラビを見下ろした。
「なぶさは、古の虹…」
 赫い口唇が、言葉をかたちづくる。
「古の虹とは、−−われのこと…」
「なんだってッ……」
 アケボシの声が、驚愕と興奮で、はねあがった。
 古代人は、空に架かる虹を蛇だと思っていたのだ。
 古の虹とは、古の蛇だったのだ。
「来よ…、われの元に……」
 ミワが言うなり、引き出されたかのように、アケボシの裡から、飛び出したものがあった。
 飛び出したものの姿を、アケボシは、視ることができた。
 大きな、強い翼をもった猛禽、−−鷲だったのだ。
 アケボシから引き出された聖獣魂の大鷲に、ミワが、蛇体をからめ、締めつけ、交じり合った。
 瞬間、蛇とアケボシの聖獣である大鷲が、眩いばかりに光り耀きながら、ひとつに融合し、白金の剣と化していた。
 柄頭に神蛇をいただき、鍔の部分が羽の形をもっている白金の剣、『天羽々鷲』の現顕だった。
 蛇と鷲の合体した神は、存在する。
 マヤの神、羽毛の蛇といわれるククルカンである。
 翼ある蛇。
 またの名を、ケツァルコアトル。
 ケツァルコアトルは、また、金星の神でもある。
「信じられませんッ、アケボシ様…、まさしく伝説の剣です…」
 恐懼するも、ラビは、歓喜に声をうわずらせた。
 目の前に出現した『天羽々鷲』を手に握り締め、アケボシも身震いが起こるほどの感激を味わったが、事態の急が、アケボシを冷静に鎮めてゆく。
「ラビ、俺も出るぜッ」
「ハイ、アケボシ様。すでに外は夜の闇に覆われております。星の加護を、イセ様にッ」
 明星は、−−金星は、大地を脅かすものとも言われるほどに、明るい星なのだ。
 千尋は、あまねく広くを意味する。限りなく広くである。明星千尋の名前には、強い輝きのある星の光を、限りなくひろく行き渡らせるという意味があるのだ。
 励ます意味か、勝利を願うものか、ラビが言魂を贈ったが、それすらすべて聞き届けないうちに、一気にアケボシは、天浮船で飛び出していた。
「イセ−−ッ」
 いきなり真横に現われたアケボシが、凄まじいまでの霊力に満ちた剣を持ってることに、イセが驚きを声を上げた。
「その剣はッ」
「ミワが授けてくれた天羽々鷲さ、ついに俺は、俺の剣を手に入れたッ」
 噴煙のおさまった空に、曙の明星が、きらめいていた。
 まもなく、太陽が、昇るのだ。
 だが、自然破壊によって豊葦原瑞穂国の大地は傷つけられ、果てしない強欲と、邪教に支配された人々によって、日本は病んでいた。
 同時に、遥かな昔、神との契約によって散り散りになった、古い民族が、約束の地に終結しつつあった。
 強力な民族意識で結ばれ、貴い霊的力を持ったがゆえに、迫害をうけ、根絶やしに虐殺されかかった民族。
 究極の団結力を持ち続けた民族が、次なる封印の門となるべく、国家を築きつつあった。

 やがて世界中が、彼等の国の名を、口にするだろう時が、迫っていた。
 次なる封印の門となる国、『神と闘う者』の名を−−…。

 そして、メギドは、中東にいた。
 メギドは一九六二年二月五日に、中東の、ある未婚女性の腹に転生していた。
 イエスの再来と人々を惑わす刻が、迫っていた。


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